地域の誇りを再び・・
邑南日和高原 生乳100%使用ブランド
邑南日和高原ブランドは、これからの次世代を担うシェフやパティシエを目指す生徒さん達に「普段出来ない農業や酪農などの食材づくりを産地で学ぶことで、日頃から使っている『食材に対する考え方』を生徒さん自らが感じ、考えて養って欲しい」という想いから、体験学習の意味も併せ持った「地域都市間交流型」の新しい形の事業です。
第一弾として「邑南日和高原バター」と「邑南日和高原ミルクジャム」の商品開発を進めております。完成した邑南町産バターはしばらくの間、広島酔心調理製菓専門学校の生徒さんが製菓実習などで使用致します。みんなで一緒に、まだまだ品質を上げていき日本最高峰を目指します!!
そしてバター生産の際に生じる、低脂肪、低カロリー、高栄養価の「ローファット牛乳」を8時間ゆっくり、水分だけを飛ばすうように煮詰めて出来たのが「邑南日和高原ミルクジャム」です。生クリームや水飴不使用で、高栄養価のローファット牛乳と砂糖のたった2つの原料で凝縮しているのが特徴です。
今後、カルピス風飲料やフロマージュブランなどの乳製品も検討しておりますので、乞うご期待下さい(^^)!!
開発ストーリー
それは、日和高原から始まった夢
現在の「石見高原特選牛乳」は、世界遺産石見銀山で有名な島根県大田市にある三瓶山(さんべさん)から邑南町の瑞穂地域、日和地域で生産された生乳で製造されています。
「石見高原特選牛乳」のルーツは、日和地域で生産された生乳だけで製造された「日和高原牛乳」でした。
今から約30年前、当時のグリコ協同乳業が全国の良質な産地から高原牛乳を出そうと声をかけたうちの一つが日和高原でした。
栄光と消滅
私たちの地域の諸先輩、その頃に現役だった親、祖父母の世代の酪農家は、田舎から全国的な発信ができる商品づくりに燃え、その厳しい基準(無脂乳固形分、乳脂肪分、細菌数、細胞数)を達成するために日々挑戦と研究を繰り返しました。
「30年近くも前に達成した基準が現在でも通用する」といえば、情報も技術も機械も少なかった当時、どれだけ大変だったことか容易に想像できます。
そして、今のように情報が瞬時に届き、簡単に手に入る時代ではない当時に、田舎から全国区の名前となることの誇りは、本当に「夢」のような話だったことでしょう。
その夢を追いかけ、ついに「日和高原牛乳」の製造を実現した父親や先輩の背中を見て育ったのが、日和で牧場を営む坂根牧場の坂根さんをはじめとする日和地域の人々です。
グリコの厳しい基準を達成し商品化された「日和高原牛乳」は、地域の誇りとして、愛されました。
時がたち、乳量が足りなくなったため、現在では邑智郡の生乳を使った「石見高原特選牛乳」として販売されることになり、「日和高原牛乳」の名前は消えてしまいました。
地域の誇りに未来をつなぐピース
平成23年(2011年)、邑南町は、「A級グルメ」によるまちづくりを掲げ、ここでしか味わえない食や体験をブランド化する地域活性化を進めています。
この流れの中で様々なピースが集まり、再び日和高原生乳を活用した商品づくりの道筋ができました。
・A級グルメの発信による邑南町のブランド価値向上、販路開拓
・地域の誇り(伝統、食文化)を残したいという思いの強まり
・広島酔心調理製菓専門学校との協定
・東京農業大学応用生物科学部醸造科学科 前橋准教授の協力
・日和高原で牧場を営む坂根牧場の協力
・食の学校、耕すシェフの取り組みによるレシピ、人員の協力
始まりは、冗談
話のはじまりは、邑南町と協定を結んでいる酔心調理製菓専門学校からの話でした。
近年バター不足の話がよくでますが、協定当時もバター不足で、製菓の授業で難儀をしていると校長先生が話しておられました。
「協定よりもバターをもらえないかな」
そんな話から、「邑南町には生乳はたくさんあるから大丈夫だろう」と調べたところ、バターは、生乳の5%の成分しか使用せず、95%が低脂肪乳となることがわかりました。
低脂肪乳は、牛乳よりも価格が安いため、5%のバターを買ってもらったとしても、余った95%の低脂肪乳の有効活用が見出せなかったため、一旦この話は流れてしまいました。
その頃、邑南町観光協会が東京農大の前橋准教授と発酵の商品開発の話を進めており、「発酵させたミルクジャムにしたら面白いのでは」とヒントが出てきます。
特産品としても付加価値をつけた商品としても面白く、「これは・・いけるかも!!」。
この話を校長先生に伝えたところ、「それは面白い」という話に。
しかし、観光協会に装置を購入するお金はありません。
「ならば、その装置のお金をうちが見ましょう!」と校長先生。
こうして、観光協会は、地元の生乳を仕入れ、バターを作って酔心調理製菓専門学校に納品し、残った低脂肪乳を購入していただいた装置で製造し、それを販売することで観光協会の資金にするという道筋が立ちました。
道は、山あり谷あり
道筋ができたので、県に許可申請の相談にいったところ、バター向けの生乳に対しては酪農家に補助金がでるため、膨大な申請書が必要だということがわかりました。
更に、バター向け生乳の仕入れには品質のチェック、衛生管理等の問題があるため、中国地方の指定生乳生産者団体である中国生乳販連(中販連)に相談しました。
日本のバターの大部分は北海道で製造されており、補助金の申請や酪農家への分配作業にも慣れていますが・・ここは邑南町。
県も町も生産者も中販連でも特産品のバターを補助金の対象とする事例がありません。
しかも、申請の手続きで大変で、その後の補助金や地域特産品としての付加価値のあり方も継続して事務手続きが必要という煩雑さ。
また、対象者がたくさんの酪農家ではなく、日和という狭い地域に対してという割に合わないことだらけでした。
そして、補助金といっても本当にわずかな金額で、牧場側からしても事務手続きが出るだけ煩わしく、また、バターとミルクジャムの原料提供という少量取引のため新規に始めるには割に合わないものでした。
夢は叶えるもの
割にあわない話。しかし、再び「日和高原牛乳」の名を冠にできるならと生産者である坂根さんは協力をしてくださいました。
かつて地域の誇りであった「日和高原牛乳」の名が消えたことで、酪農家のモチベーションは下がり、子供を後継者にさせたくないとなっているほどでした。
この流れを変えなければ、地域の酪農の未来はありません。
また、生乳を販売する中販連は、通常より少し高く買い取ることで地域のブランド牛乳を守り、付加価値商品を作るという未来を支援してくださいました。
さらに、製造にあたって、保険所の衛生基準が厳しかった点は、地元の自然放牧牛乳と加工品を製造する株式会社Muiの協力によってクリアすることができました。
再び、全国へ
全国に誇る品質を持った日和高原牛乳。その過去の誇りが、現在のA級グルメによる6次産業化の取り組みを通して再び表舞台に立つチャンスが訪れました。
過去の先輩たちが目指し、成し遂げた夢を、ミルクジャムという形に変え、再び成し遂げ、未来の子どもたちへつなげていく。
そんな地域の思いがつまったミルクジャムです。